ベジタリアンもヴィーガンもつまらない偽善だ
わたしにとって本当に書くことはだいじ。
頭の中でずーっと考えてると、堂々巡りになって来るんだけど、それをね、書きながらすると、不思議とひとつ、答えが出て来るんだ、
だから書くね。
どうしたらいいのかまた分からなくなっちゃった。
ここ、去年の5月に「もう死んじゃいたい!!」って思ったのと同じ場所なんだけど。
どうしたらいいんだろ。自分のなすどんなことにも罪の意識がつきまとってしまう。
生きてるだけで、食べてるだけで、たとえば電気を、人間がつくってそれをお金で買った道具を、使うだけで、もう罪だ。
これはもう、解決しようがないことなんだろうか。
どんな宗教家だって、仏陀も、ごはんは食べたでしょ。
ベジタリアンとかヴィーガンとか、そういうのもわからない。
わたしには「動物」と「植物」の線引きがわからない。なんで動物は食べちゃダメなのに植物はいいの?
植物にだって痛みも苦しみもあるでしょ、ないことないでしょ。植物なら食べてもいいってそんなわけないでしょ。それはなにか大事な事に気がつかないふりしてるよ。
でもさ、今よりましな場所にいかなくちゃって思うよね。
せめて、自給自足。自分が食べるものは自分でどうにかする。ちはるさんみたいに、肉を食べるなら、自分で狩りしなきゃ。
せめて、それがちゃんと感じられる場所に行かなきゃ。せめて。
食べる事の苦労をほかにおきかえちゃいけない。お金におきかえちゃいけない。そう思う。
自分の手で、足で、頭で、どうにかして得たものだけ食べたら、この罪の意識とはじめてちゃんと向き合えるんだって気がするよ。
そこからしかはじまらないよ。今の、スーパーで食材買って、誰かに作ってもらって、かわりにやってもらってるようなのじゃ。矛盾だ。その矛盾を抱えてるから、だからこんなに今苦しいんでしょ。
肉を食べようが、魚を食べようが、プランクトンを食べようが、植物を食べようが、それは、自分の手でどうにかしなきゃ。
ほかの命をとりあげて食べる、その感覚がうすらいだらいけないんだ。
毎日自分を生かす為にたくさんの命を殺してる。それをちゃんとわかって、体感して、肌で感じて、その罪の意識と向き合って、はじめて「生きる」ってどういうことかわかるんじゃないの?
そうだ、お金を稼ぎたいとか、海外旅行がしたいとか、人とつながりたいとか、パートナーがほしいとか、ぜんぶ、そういうの、ちっぽけだよ。この事に比べたら。
「毎日他の命を殺して生きてる」それを感じられる毎日を生きる。そうしてからじゃないと、人生のどんな願いがかなったって素直に喜べるわけないんだよ。
みんな忘れてしまったことだ。
ぜったい、間違ってると思うよ。人類みんな。このままいったら滅びるよ。というか、いっそ滅びてしまったらいいんじゃないと思う。
たぶんね、そうやって暮らしたら、ちゃんと自然は必要な分だけくれるよ。
火山が噴火したり、気候が今迄どおりじゃなくなったり、今までみたいに自然がたべるものをくれなくなったら、滅びるんだよ。そうしたら、滅びればいいんだよ。おとなしく。
「食べること」を自分の知らない人や生き物に頼っている人が、何を言ったところで、何も説得力がないと、思うよ。それはわたしを含めて。
どんなに偉業をなしとげたひとでも、賞賛されているひとでも、宗教家でも、高尚な研究者でも。だってみんなその問いを投げかけられたら、答えられないんじゃないかと思うから。
みんなに教えて欲しい。
「自分が毎日他の命を殺し続けて生きながらえていることについて、どう受け止めているか」って。
これにちゃんと自分のことばで答えられる人か、自分なりの答えを出そうと考えている人と会いたい。
たとえ人間社会にとってすばらしいといわれるどんなことを成し遂げていようと、この問いに答えられないならそのひとは自己矛盾を抱えている。ものを食べない人間なんていないんだから。
これを読んでくれているあなたはどうですか?
ぜひご意見下さい。どうしていったらいいのか議論しましょう。あと、なにか一緒に行動を起こしましょう。一緒に試行錯誤しましょう。
なによりも自分自身が納得して生きていくためにね。
なにか感じた方、コメントでも、メールでも、ツイッターからでも、連絡ください。